
私はベジタリアンではないのですが・・・
こんにちは、コウダイです。
今年は丑年である事から、新年の始まり1月はやたら牛が目につく日が続いていますが、皆さんビーフの摂取量は増えていますか?
干支が一体何を意味しているのか分かりませんが、丑とは紐を意味し、生命エネルギーの結合を指すらしいです。ですから、ローストビーフや牛肉を積極的に食べる事が縁起が良い事なのか?
それとも、インドのように牛を神様と崇めている国にとって縁起が良い年になるのでしょうか?
ただ、単純に牛をリスペクトしていれば良いだけではなく、きっとその裏に意味しているものと自分の行動が重なりあう事によって真の力を発揮してくれるような気がします。
私にとって牛とはペットではなく家畜であり、牛乳を飲むとお腹を壊す体質(カゼインに弱いよう)である事から、どちらかというと乳牛用という目で見るよりは「こいつもいつか食べられてしまうのか」と、食肉用と見てしまう傾向があります。
動物愛護でもビーガンでもないので、生命を食す事が悪いと思う事はありませんが、良く考えると子供の頃から牛肉が得意な方ではなかったので、丑年だからといって牛肉を食べようかという気持ちに中々なりません。
思い返せば大きなキッカケは、オーストラリアのタスマニアにある有名なトレイル、オーバーランドトレイルという5日間の縦走を終えた後、ゴールの湖のほとりのレストランで、ビールとハンバーガーのセットを腹いっぱいに詰め込んでしまった後の出来事からでした。
5日分の食料を持ってきていたはずだったのですが、私にとって2回目の複数日のトレッキングであり、初のソロ縦走。初日の美しいトレイルで浮かれていたのか、たっぷりと持っていたはずのナッツ類は、どこかで落としてしまい、気づいて大急ぎで戻った時にはカラスに一掃された後でした。
荷物の軽量化の為に最小限の食料しか持っていなかった為、寄り道が出来ず、最後の日はレストランの営業時間に間に合うように、最後はほとんど走りながらだった事を覚えています。
本当にお腹を空かせながら、ビールにポテトにハンバーガーをたらふく食べて。
その後、当時働いていたリンゴ農園に通う為に滞在していたホームのキャンプ場についた頃は夜中でもう真っ暗になってしまいます。
雨も降って地面が濡れていた事から「夜中にテントを張る事ないだろう」と、キャンプ管理人のタープの下に寝かせてもらう事になったのですが、丁寧におかえりパーティをしてくれて、ビールやらジャックダニエルやらで歓迎してくれました。
「アルコールはもう辞めたんだ」が口癖なのに、酒屋でいつも遭遇する、キャンプ管理人のピーター。
会う度に「いつ辞めるんだよ、酒!」と強く心の中でツッコむのですが、本人曰く、ジャックダニエルを直接飲むのを辞めて、ハイボールにするようになったのだから、酒を辞めたのと同様だという生粋のアル中理論なのです。聞けば聞く程デリケートな話であり、一時と比べれば改善して社会復帰しているのだから、気軽に突っ込まなかったのは我ながら良い判断でした。
タバコやハーブやらが充満するタープの下で、ジャックダニエルが振る舞われる宴は私の体に拒絶反応を起こさせるには十分なものだったと思います。
標高1000m超えの空気の澄んだ美しいタスマニアのトレイルから突然、アルコールや副流煙のニコチンなどの毒が空っぽに研ぎ澄まされた体に流入し、ハンバーガーの牛肉やポテトの油がリミックスし、その後の人生史上最高な気持ち悪さに襲われ、再度胃の中が空っぽになってしまった事は言うまでもありません。
目の前に広がる牧場、近くの小川ではカモノハシ

<街の中のキャラバンパークだったので酒屋や肉屋が近くて便利だった>
その頃にテントを張っていたキャップ場(キャラバンパーク)の私のサイトの前には羊の牧場が広がっており、羊の気分が良ければ近くに寄ってくるし、機嫌が悪ければ明後日の方向に行ってしまったりの繰り返し。
毎朝、毎日眺める羊は癒やしの象徴でした。
牛や豚、鶏や馬、家畜を飼えるなら何が良い?と聞かれたら、真っ先に羊と答えるでしょう。何より糞の掃除が楽で、農作物の肥料やコンポストにもしやすい。
その羊がある日、人間達に追われ柵の端っこに追い詰められています。
羊が追い詰められていたコーナーはまさに私の拠点としていたテントのすぐ目の前で、ひとりの男が鈍器のようなものを羊の頭に力強く振り落としました。
崩れ落ちる羊、すかさずもうひとりの男が前足を掴み、男たち二人で担ぎ上げたら小屋の方へ連れていかれました。
この羊は羊毛用の為だけではなく食用だったのかと。
決してこの経験が動物の肉から私を遠ざけたのではなく、決定的だったのは縦走帰りの食事による胃腸への強烈な負担が原因だと思っています。事実、牛肉や羊肉が食べられないわけではなくTPOに合わせますし、贅沢にも美味しいお肉や臭みがないもの少量であれば全然食べます。ただ、単純に好物ではないというだけなのでしょう。
さて、あの日の羊から私は一体何を学んだのでしょうか?
たったひとつの事から、私の脳に向けて弾け飛んできた情報量は言葉で言い表す事はできません。
私にとって今でも忘れる事なく刻銘に思い出す11年前のある日の朝、オーストラリアでの出来事。
あの日、あの一瞬の
出来事で私は多くの事を学んだのです。